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道内観光 平取町①
2015-10-13 Tue 22:08
10月12日(祝)に友人と平取町へ観光に行ってきました。

義経神社①
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気晴らしと思いつきです(白状)
3連休なのに結局どこにも行ってねーなー…と思いまして。
日曜は暴風雨でしたので月曜晴れたらどこか行こうと。
月曜は全く寝付くことができずに朝となり、
とりあえず早朝に友人にどっか行くべーと誘って平取にいくことになりました。

義経神社はあの「源義経」の義経です。

1798年に幕府から蝦夷への調査として「近藤重蔵」が1799年に源義経を当時からのアイヌの信仰対象である「オキクルミ」に類似又は同一だとして義経の木像を神社の建立と共にアイヌ民族に崇拝させることにした。とのこと。

1189年、源義経は31歳の若さで東北の陸奥の地で生涯を終えたとされているが実は生き延びて蝦夷地に渡ったとの諸説が言い渡されているらしい。
蝦夷地の平取でアイヌ民族に船や道具、農業を教授し、アイヌの人々の暮らしを豊かにしたと。
この文化、文明の伝授こそがオキクルミと類似している点だと述べている。

後に義経は樺太から大陸に渡り「チンギスカン」として活躍することになったとの説も…
チンギスカン→モンゴル帝国→元寇という流れで日本に対して復讐をしかけてきたとか何とか…
まぁ似た歳ではありますが出生年月日からしてずれてますけどね…^^;

義経とオキクルミを同一視したってのは恐らく…
神社建立を目的とした言い分なんでしょうなぁと。
古代からずっとオキクルミを信仰対象としてきたアイヌ民族に対して、
いきなり他所者が「神社信仰しろよ」と言っても「は?」ってなるだけですからね。
その地その地での思想ってのはそれぞれですからそれを根底から覆そうとすると反発は大きいでしょうし、それを回避する為には類似点でも見つけて徐々に侵食して一部になっていくしかない。
そうやって幕府は北方調査→開拓の布石を打っていったんでしょう。

幕府とアイヌ民族の調和の元での神社建立、崇拝の瞬間かもしれませんけど。
調和といっても当時幕府の装備の方が圧倒的に強いわけですし、当時のアイヌ民族の装備だけで発起してもコテンパンにやられるのが目に見えてますし…
「お、そうだな…」って幕府に同調するしかなかったんじゃないかなと思いますがどうなんでしょ。

義経伝説然り神社然り謎が多いですね…


つづく

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